京都の秋(1)
- 2016/11/23
- 00:00
京都へは仕事で行くことが多いのだが、なにかを見るために行くということは、ほとんどない。
その気になれば、いくらでも見るところはあるのに、およそその手の趣には理解を示さない。考えて見れば、随分もったいない話ではある。
この前も、たまたま宿泊する機会があって、翌日に時代祭があったので、偶然時代祭を見ることがあった。これも初めから見ようと思って行ったわけではない。
もっとも、三大祭りと言われているわりには、どうだったのだろうか。
もっとしっかりと見るべきところを見れば、その良さは分かるのかもしれない。
だが、人工的なものという色合いが強くて、そのために心に響かなかったのかもしれない。
これは、偶然ではないが、数年前に、夜の京都に行くことになった。
紅葉のライトアップにあわせて、夕方、大阪から移動して京都まで車を走らせた。
南禅寺の前の駐車場に車を入れる。
夜ということもあり、それほど車で道が混むということもない。
スムーズに駐車場に停めることができた。
さすがに昼間は天気がよかったが、陽は完全に落ちて、コートを着ていないと寒い。
行き先は天授庵である。
京都の紅葉の名所としても、名前が出てくる場所だ。
時期はライトアップがそろそろ終わるという11月の下旬だった。
天授庵は、中に入ると、座敷があり、そこから目の前の庭の紅葉がライトアップされている。
さすがに無粋な僕でも、これはきれいだと思う。
カメラを手にそこそこの人数の人が座敷のなかに入っている。
昼間の紅葉とはまた趣が違う。
ここの紅葉を昼に見たわけではないが、他の土地の紅葉を思い出すと、夜の紅葉は、ライトアップの向こう側の影の部分が、どこまでも暗く、深い。
それを背景に、手前にある紅葉がショウの中のスターのように胸を張っている。
南禅寺に到着。

南禅寺の全景。

天授庵の入口に着く。

門から中へ入る。

紅葉のライトアップのなかで、紅葉では木のライトアップが妙に新鮮だ。

(つづく)
その気になれば、いくらでも見るところはあるのに、およそその手の趣には理解を示さない。考えて見れば、随分もったいない話ではある。
この前も、たまたま宿泊する機会があって、翌日に時代祭があったので、偶然時代祭を見ることがあった。これも初めから見ようと思って行ったわけではない。
もっとも、三大祭りと言われているわりには、どうだったのだろうか。
もっとしっかりと見るべきところを見れば、その良さは分かるのかもしれない。
だが、人工的なものという色合いが強くて、そのために心に響かなかったのかもしれない。
これは、偶然ではないが、数年前に、夜の京都に行くことになった。
紅葉のライトアップにあわせて、夕方、大阪から移動して京都まで車を走らせた。
南禅寺の前の駐車場に車を入れる。
夜ということもあり、それほど車で道が混むということもない。
スムーズに駐車場に停めることができた。
さすがに昼間は天気がよかったが、陽は完全に落ちて、コートを着ていないと寒い。
行き先は天授庵である。
京都の紅葉の名所としても、名前が出てくる場所だ。
時期はライトアップがそろそろ終わるという11月の下旬だった。
天授庵は、中に入ると、座敷があり、そこから目の前の庭の紅葉がライトアップされている。
さすがに無粋な僕でも、これはきれいだと思う。
カメラを手にそこそこの人数の人が座敷のなかに入っている。
昼間の紅葉とはまた趣が違う。
ここの紅葉を昼に見たわけではないが、他の土地の紅葉を思い出すと、夜の紅葉は、ライトアップの向こう側の影の部分が、どこまでも暗く、深い。
それを背景に、手前にある紅葉がショウの中のスターのように胸を張っている。
南禅寺に到着。

南禅寺の全景。

天授庵の入口に着く。

門から中へ入る。

紅葉のライトアップのなかで、紅葉では木のライトアップが妙に新鮮だ。

(つづく)