村山 聖さん
- 2016/11/28
- 00:00
テレビを見ている。
番組が終わった後も、そのままのチャンネルで見続けていて、たまたま面白い番組に出くわすことがある。
「名探偵モンク」は、まさにそのような形で出会った番組である。
そのときに見ていなければ、一生見ることがなかったかもしれない。
もし出会わなかったとしても、なにか別の人生が開けていたかもしれない、というような大げさなことではないけれど、なにかの因縁のようなものを感じることは事実だ。
村山 聖(さとし)さんを紹介する番組を見たのも偶然のことだった。
見ようと思ってチャンネルをあわせたわけではない。
村山 聖さんの名前は、全く初めて聞く名前ではない。プロの将棋棋士であり、20代で夭折された方ということは、頭のどこかに記憶されていた。
その番組は、村山 聖さんをとりあげた映画に出演した東出 昌大さんが中心になって、村山 聖さんの生まれ、育った広島、一人住まいをしていた、大阪の一間のアパート、村山 聖さんの周りの人たち、そういう人や場所を訪ね、当時を思い出す形で進められる。
東出さんと言えば、連続テレビ小説「ごちそうさん」に出ている。僕の記憶に残るセリフを話す息子の父親役だった。
東出さんの出演した映画は、「聖の青春」という映画だ。この映画のなかで、東出さんは、村山 聖さんが生きた将棋界で、「東の羽生、西の村山」と言われた羽生さんを演じている。映画で村山 聖さんを演じたのは、松山ケンイチさんである。
このテレビ番組は、東出さんが、村山 聖さんの歩いた道をたどって行く。
役を演じた松山ケンイチさんではなく、なぜ東出さんがこの番組のなかで、ナレーター兼番組進行役になっているのかは、分からない。
東出さん自身が、村山 聖さんの生き方、生涯に強く心を打たれていると言う。それがこの番組を作った動機にもなっている。
村山 聖さんは、奨励会を2年11ヶ月という早さで突破し、プロ棋士になる。
将棋の世界では、4段からプロである。プロを目指す人は、奨励会に入る。奨励会に入れば、誰でもプロになれるというのではない。
初段から2段、3段と昇段していき、4段になって、初めてプロになる。
しかもそれには年齢制限がある。21歳までに初段、26歳までに4段にならなければ、奨励会をやめなければならない。
昇段のためには基準となる成績をクリアする必要がある。勝ち残るものだけが、プロの道に進めるのだ。
村山 聖さんは、現在も活躍されている羽生さんや谷川さんをも抜く短期間で奨励会を卒業されている。
ただ、昇段の早さとか天才棋士という言葉は、数は少ないが、たまに聞くことがある。
村山 聖さんのすごさは、幼いころから腎臓病を患い、ネフローゼという難病を抱えた状態で、プロ棋士になり、名人位の手前まで上り詰めたことである。
そして27歳のときに進行性の膀胱がんを宣告される。
残された時間のなかで、生涯の目標である名人位に向かっていく。
もしも健康な体があれば、と思うことはありませんか、と問われると、病気があるから将棋をやっているという答えが返ってくる。
将棋を始めたのが、病院のなかであり、そこで名人になろうという強い意志を持つのだ。
病気がなければ、将棋もやっていないというのである。
このような悲劇的な人生というのは、醒めた目で見ると、珍しいものではないだろう。
だが、そのような環境のなかでも、常人ができないことをやり遂げる力というものには、こころをうたれる。
元気な体、活動できる健康な体をもっているのであれば、もっとしっかりやらんかいと、自分に問いかけてしまうのだ。
「聖の青春」は、公開中だという。
DVDでもいいから、見てみたい。

番組が終わった後も、そのままのチャンネルで見続けていて、たまたま面白い番組に出くわすことがある。
「名探偵モンク」は、まさにそのような形で出会った番組である。
そのときに見ていなければ、一生見ることがなかったかもしれない。
もし出会わなかったとしても、なにか別の人生が開けていたかもしれない、というような大げさなことではないけれど、なにかの因縁のようなものを感じることは事実だ。
村山 聖(さとし)さんを紹介する番組を見たのも偶然のことだった。
見ようと思ってチャンネルをあわせたわけではない。
村山 聖さんの名前は、全く初めて聞く名前ではない。プロの将棋棋士であり、20代で夭折された方ということは、頭のどこかに記憶されていた。
その番組は、村山 聖さんをとりあげた映画に出演した東出 昌大さんが中心になって、村山 聖さんの生まれ、育った広島、一人住まいをしていた、大阪の一間のアパート、村山 聖さんの周りの人たち、そういう人や場所を訪ね、当時を思い出す形で進められる。
東出さんと言えば、連続テレビ小説「ごちそうさん」に出ている。僕の記憶に残るセリフを話す息子の父親役だった。
東出さんの出演した映画は、「聖の青春」という映画だ。この映画のなかで、東出さんは、村山 聖さんが生きた将棋界で、「東の羽生、西の村山」と言われた羽生さんを演じている。映画で村山 聖さんを演じたのは、松山ケンイチさんである。
このテレビ番組は、東出さんが、村山 聖さんの歩いた道をたどって行く。
役を演じた松山ケンイチさんではなく、なぜ東出さんがこの番組のなかで、ナレーター兼番組進行役になっているのかは、分からない。
東出さん自身が、村山 聖さんの生き方、生涯に強く心を打たれていると言う。それがこの番組を作った動機にもなっている。
村山 聖さんは、奨励会を2年11ヶ月という早さで突破し、プロ棋士になる。
将棋の世界では、4段からプロである。プロを目指す人は、奨励会に入る。奨励会に入れば、誰でもプロになれるというのではない。
初段から2段、3段と昇段していき、4段になって、初めてプロになる。
しかもそれには年齢制限がある。21歳までに初段、26歳までに4段にならなければ、奨励会をやめなければならない。
昇段のためには基準となる成績をクリアする必要がある。勝ち残るものだけが、プロの道に進めるのだ。
村山 聖さんは、現在も活躍されている羽生さんや谷川さんをも抜く短期間で奨励会を卒業されている。
ただ、昇段の早さとか天才棋士という言葉は、数は少ないが、たまに聞くことがある。
村山 聖さんのすごさは、幼いころから腎臓病を患い、ネフローゼという難病を抱えた状態で、プロ棋士になり、名人位の手前まで上り詰めたことである。
そして27歳のときに進行性の膀胱がんを宣告される。
残された時間のなかで、生涯の目標である名人位に向かっていく。
もしも健康な体があれば、と思うことはありませんか、と問われると、病気があるから将棋をやっているという答えが返ってくる。
将棋を始めたのが、病院のなかであり、そこで名人になろうという強い意志を持つのだ。
病気がなければ、将棋もやっていないというのである。
このような悲劇的な人生というのは、醒めた目で見ると、珍しいものではないだろう。
だが、そのような環境のなかでも、常人ができないことをやり遂げる力というものには、こころをうたれる。
元気な体、活動できる健康な体をもっているのであれば、もっとしっかりやらんかいと、自分に問いかけてしまうのだ。
「聖の青春」は、公開中だという。
DVDでもいいから、見てみたい。
