いわきの願成寺
- 2015/03/10
- 00:00
福島県いわき市に願成寺(がんじょうじ)というお寺がある。
このお寺に立ち寄ったのは、おまけのようなものだった。
前日は金曜日で、いわきで講演会があった。
講演会の後、懇親会があり、終了時間が21時をまわっているので、その日は関西に戻ることはできず、一泊となる。
関西へは飛行機を使ったのであるが、福島空港への交通機関が意外と不便である。
空港への定番、リムジンバスは、本数が極端に少なく、適当な時間帯には出ない。
乗合タクシーを使うのが結構便利だという話を聞き、このときは、一緒に行った方が予約した乗合タクシーに乗ることにした。
乗合タクシーは、乗客の割り勘とは違い、何人乗っても、一人あたりの支払は変わらない。
そのときの乗客は二人だけ。
運転手さんも、時間があるので、空港に着くまでに、どこでもまわりますよ、と言ってくれる。乗合タクシーが、貸し切り観光タクシーに変わるのだ。
親切な運転手さんだ。
どこに行くかは決めていなかったので、時間の許す範囲で適当に行ってもらうことにした。
そのときにまわってくれたのが、願成寺である。
お寺の中には、全く観光客がいなかったわけではないが、ぱらぱらである。
静かである。
お堂に上がって、説明を聞く。
それは10分程度で終わる。
お堂は阿弥陀堂と言う。国宝建築物とのこと。
正面の入口からお堂までの道は、両側に池がある。
説明を聞き終えて、池を眺めていると、池のなかに石が見える。
その石の上に亀がいる。
その亀は微動だにしない。
亀は置物だ、と思った。
反対側の池にいくと、そこにも石の上に亀がいる。
いや、亀の置物が置いてある、と思った。
2つも置いてあるのは、奇異な感じがしたので、しばらく亀を見ていることにした。
置物にしては、よくできている。
できすぎである。
と、5分以上経ったろうか、首が動いた。
これは、置物ではない。
生きた亀である。
鶴は千年、亀は万年という。
それだけ長生きするというのは、のそりのそりとしか動かないからだろう。
まさにドッグイヤーの反対である。
人間の1秒は亀では数分くらいになるのだろう。
亀が生きた亀であることを確かめてから、池の周りをまわる。
願成寺は、平泉の毛越寺(もうつうじ)を模したものらしい。
確かに雰囲気は、いずれも平等院である。
毛越寺よりは、有名でない分、趣がある。
広さでは劣っているが、偶然に出会ったこともあったせいか、気に入った。
歩いているに従い、だんだんとそのよさが体の中にしみこんでいく感じがする。
小1時間かけて、ぶらりとまわって、駐車場で待っている乗合タクシーに戻った。
運転手さんに、いいところを紹介してもらったことのお礼を言う。
これは、いいおまけになった。
まだ空港に行くには、早過ぎる時間だ。
「他に近くになにかありませんか」と運転手さんに尋ねる。
「そうですねぇ」と言いながら、エンジンをかける。
さて,次はどこだろうか。
橋を渡ると、阿弥陀堂まではもうすぐだ。

国宝の阿弥陀堂。

橋の左手に見えるのが阿弥陀堂。

時期は5月下旬。花菖蒲かな。

じっと動かぬ亀さん。

5月に紅葉?!

すこし高い位置から、確か阿弥陀堂の裏手だったかな。

この方向からみる景色がよかった。
ここにも亀がひなたぼっこ。

このお寺に立ち寄ったのは、おまけのようなものだった。
前日は金曜日で、いわきで講演会があった。
講演会の後、懇親会があり、終了時間が21時をまわっているので、その日は関西に戻ることはできず、一泊となる。
関西へは飛行機を使ったのであるが、福島空港への交通機関が意外と不便である。
空港への定番、リムジンバスは、本数が極端に少なく、適当な時間帯には出ない。
乗合タクシーを使うのが結構便利だという話を聞き、このときは、一緒に行った方が予約した乗合タクシーに乗ることにした。
乗合タクシーは、乗客の割り勘とは違い、何人乗っても、一人あたりの支払は変わらない。
そのときの乗客は二人だけ。
運転手さんも、時間があるので、空港に着くまでに、どこでもまわりますよ、と言ってくれる。乗合タクシーが、貸し切り観光タクシーに変わるのだ。
親切な運転手さんだ。
どこに行くかは決めていなかったので、時間の許す範囲で適当に行ってもらうことにした。
そのときにまわってくれたのが、願成寺である。
お寺の中には、全く観光客がいなかったわけではないが、ぱらぱらである。
静かである。
お堂に上がって、説明を聞く。
それは10分程度で終わる。
お堂は阿弥陀堂と言う。国宝建築物とのこと。
正面の入口からお堂までの道は、両側に池がある。
説明を聞き終えて、池を眺めていると、池のなかに石が見える。
その石の上に亀がいる。
その亀は微動だにしない。
亀は置物だ、と思った。
反対側の池にいくと、そこにも石の上に亀がいる。
いや、亀の置物が置いてある、と思った。
2つも置いてあるのは、奇異な感じがしたので、しばらく亀を見ていることにした。
置物にしては、よくできている。
できすぎである。
と、5分以上経ったろうか、首が動いた。
これは、置物ではない。
生きた亀である。
鶴は千年、亀は万年という。
それだけ長生きするというのは、のそりのそりとしか動かないからだろう。
まさにドッグイヤーの反対である。
人間の1秒は亀では数分くらいになるのだろう。
亀が生きた亀であることを確かめてから、池の周りをまわる。
願成寺は、平泉の毛越寺(もうつうじ)を模したものらしい。
確かに雰囲気は、いずれも平等院である。
毛越寺よりは、有名でない分、趣がある。
広さでは劣っているが、偶然に出会ったこともあったせいか、気に入った。
歩いているに従い、だんだんとそのよさが体の中にしみこんでいく感じがする。
小1時間かけて、ぶらりとまわって、駐車場で待っている乗合タクシーに戻った。
運転手さんに、いいところを紹介してもらったことのお礼を言う。
これは、いいおまけになった。
まだ空港に行くには、早過ぎる時間だ。
「他に近くになにかありませんか」と運転手さんに尋ねる。
「そうですねぇ」と言いながら、エンジンをかける。
さて,次はどこだろうか。
橋を渡ると、阿弥陀堂まではもうすぐだ。

国宝の阿弥陀堂。

橋の左手に見えるのが阿弥陀堂。

時期は5月下旬。花菖蒲かな。

じっと動かぬ亀さん。

5月に紅葉?!

すこし高い位置から、確か阿弥陀堂の裏手だったかな。

この方向からみる景色がよかった。
ここにも亀がひなたぼっこ。
