ンパラムキ
- 2017/01/13
- 00:00
遠い小学校の頃。
妙にいつまでも記憶の中から出てくる場面がある。
学校の帰り道だ。
クラスのなかでも大人びた少年、F君と一緒になった。
いつもは積極的に同じ道を帰ることはなかった。
当時僕の小学校では、映画を見る日があった。
映画鑑賞の日だ。
月に1回だったか、2ヶ月に1回か、あるいは3か月に1回か、はっきりと覚えていない。
市内のいくつかの小学校から参加する。
市内の一番大きな劇場である宝塚大劇場まで全員が徒歩で集まってくるのだ。
半分遠足のようなものだ。
大劇場は2500名の定員だ。
上映する映画は、文部科学省推薦というやつだ。
悲しい映画がかかったりする。
帰り途に友達同士、特に女子たちは、今日の映画は悲しかったね、と話している。
そういう話を横で聴きながら、F君が言うのだ。
一番悲しい映画は、西部劇だ。
今日見た映画よりももっと悲しい。
どんな西部劇が悲しいのか、それは覚えていない。
アラン・ラッド主演の「シェーン」のラストシーンだろうか。
それは後になって考えたことで、その話を聞いたときには、どんな西部劇が悲しいのか、想像もつかない。
F君のことを、子供心に随分と大人びたクラスメートだと思った。
そんなF君と並んで歩いていく。
馬鹿なことを言うわけにはいかないという、身構えた気持ちになっている。
歩いている道は、小学校の横を流れている川沿いの道だ。
まだ舗装もされていない、砂のままの道。
川の向こう岸を、トラックが走っている。
荷台はボックス状の格納タイプだ。
そこに文字が大きく書かれている。
F君が言う。
「ンパラムキってなんのことや」
「えっ、ンパラムキ」と僕は言い返す。
すぐに気がつく。
「あれは、キムラパンやろ。反対に読んだら、あかんやろ」
「あっ、そうか」
急にF君を同級生に感じた瞬間だ。

妙にいつまでも記憶の中から出てくる場面がある。
学校の帰り道だ。
クラスのなかでも大人びた少年、F君と一緒になった。
いつもは積極的に同じ道を帰ることはなかった。
当時僕の小学校では、映画を見る日があった。
映画鑑賞の日だ。
月に1回だったか、2ヶ月に1回か、あるいは3か月に1回か、はっきりと覚えていない。
市内のいくつかの小学校から参加する。
市内の一番大きな劇場である宝塚大劇場まで全員が徒歩で集まってくるのだ。
半分遠足のようなものだ。
大劇場は2500名の定員だ。
上映する映画は、文部科学省推薦というやつだ。
悲しい映画がかかったりする。
帰り途に友達同士、特に女子たちは、今日の映画は悲しかったね、と話している。
そういう話を横で聴きながら、F君が言うのだ。
一番悲しい映画は、西部劇だ。
今日見た映画よりももっと悲しい。
どんな西部劇が悲しいのか、それは覚えていない。
アラン・ラッド主演の「シェーン」のラストシーンだろうか。
それは後になって考えたことで、その話を聞いたときには、どんな西部劇が悲しいのか、想像もつかない。
F君のことを、子供心に随分と大人びたクラスメートだと思った。
そんなF君と並んで歩いていく。
馬鹿なことを言うわけにはいかないという、身構えた気持ちになっている。
歩いている道は、小学校の横を流れている川沿いの道だ。
まだ舗装もされていない、砂のままの道。
川の向こう岸を、トラックが走っている。
荷台はボックス状の格納タイプだ。
そこに文字が大きく書かれている。
F君が言う。
「ンパラムキってなんのことや」
「えっ、ンパラムキ」と僕は言い返す。
すぐに気がつく。
「あれは、キムラパンやろ。反対に読んだら、あかんやろ」
「あっ、そうか」
急にF君を同級生に感じた瞬間だ。
