正義よりも大事なもの
- 2017/01/15
- 00:00
正月に見たドラマ「相棒」で、主人公の特命係 杉下右京が言ったセリフが記憶に残っている。
それが「正義よりも大事なことがある」という言葉だ。
少年時代に罪を犯した青年が、過去の犯罪歴のために警察に疑いをもたれ、逃げている。
最後には、真犯人に対して、鉄拳をふるう機会がおとずれる。鉄拳をふるえば、再度犯罪を実行することになる。その直前に、それを止められて、再び罪を犯すことを避けることができる。真犯人に鉄拳をふるうことは、ひとつの正義かもしれないが、それよりも、青年とこころを通わせ、唯一彼を信じた保護者でもあり、恋人でもある彼女の許に帰れと右京は言う。
そのときに、正義よりも大事なことがあるはず、と言う。
この場合は、大事なことというのは、自分を信じ、愛している恋人を守ることだ。
正義というのは、多くの場合は、法律に従った、論理的な部分が多い。
正義を守ることは重要であるのは言うまでもない。
だがそれだけですべてが収まるわけではない。
罪を犯した子供であっても、親であれば、子供を守ろうとする。
それは親子の情愛というものだ。
犯した罪は償わなければならない。だが、そこには法律だけで裁けない部分もある。
そのようなことを考えながら、柚月裕子の「最後の証人」を読んだ。
読んでいるうちに、確かに2年前にテレビで見たシーンがよみがえってくる。
テレビを見てしまっているので、小説の読者でないと味わえない、作者が用意したストーリーの面白さが半減してしまうところもある。手品のタネをすでに知っているというのと同じだ。
テレビドラマでは、主人公の佐方弁護士に上川隆也、法廷で佐方弁護士に対決する庄司検事に松下由樹、被告に大杉蓮、庄司検事の上司の公判部長に伊武雅刀、最後の証人の元刑事に平田満という重厚な配役が揃う。
テレビドラマの中では、女性が殺されたホテルの部屋に一緒にいた大杉蓮が真犯人として裁判にかけられる。誰がどうみても犯人に間違いないと考えられている状況で、弁護を佐方弁護士が引き受ける。
小説のなかでは、7年前の交通事故から話が始まっている。時系列に話が展開していくが、裁判のなかの場面と、それ以前の場面が、短い周期で繰り返される。交通事故では、少年が雨の夜、自転車で塾から家路を急ぐが、飲酒運転で信号無視をする車に跳ねられて死んでしまう。その車を運転していた男が、建設会社の社長で、しかも警察にも顔が効くということから、交通事故は、少年の信号無視ということで処理される。一人息子を失った両親は、復讐を考える。
そのような筋の中で、裁判が始まっている。ホテルの部屋の中にいたのは子供を亡くした母親と子供を車ではねた男性の二人だ。誰もが、母親が男性を殺したと思って、読み進む。
読者は当然、殺されたのが男性だと思っている。
ところが裁判の場面に入ってから、実は殺されたのが母親であることが明らかになる。
テレビドラマでは、初めから女性が殺されているところから始まる。このあたりは、文字で描くストーリーと、画像から入っていくストーリーの違いだ。
小説の主人公は、弁護士の佐方であるので、筋書きとしては、裁判に佐方が勝つ。男が無罪になるというエンディングになることが予想される。小説を読み進んでいくと、どのような方法で無罪という結論がでるのか、子供を引き殺した男性が裁かれないのか、正義は守られているのか、警察まで巻き込んだ真実を隠蔽した犯罪を正すことはできるのか、いくつものことが、頭のなかをかけまわる。
絶対に有罪と思われていた被告が、敏腕弁護士により、無罪を勝ち取るというストーリーだけでは決してない。
登場人物の人生、生き方が問われながら、心の葛藤が描かれながら、話が進んで行く。
そこには、法律による正義とは、あきらかに別のものがある。そこに正義よりも大事なものがあるのかもしれないが、小説では、あくまでも正義を守る、真実を明らかにする、それにより裁かれる者が正しく裁かれるということが一番大事であるという、メッセージが根幹となっている。
テレビでは、「最後の証人」、「検事の死命」、「検事の本懐」という順に放映されている。
文庫本は、3冊まとめて購入した。次は、「検事の死命」を読むことにする。

それが「正義よりも大事なことがある」という言葉だ。
少年時代に罪を犯した青年が、過去の犯罪歴のために警察に疑いをもたれ、逃げている。
最後には、真犯人に対して、鉄拳をふるう機会がおとずれる。鉄拳をふるえば、再度犯罪を実行することになる。その直前に、それを止められて、再び罪を犯すことを避けることができる。真犯人に鉄拳をふるうことは、ひとつの正義かもしれないが、それよりも、青年とこころを通わせ、唯一彼を信じた保護者でもあり、恋人でもある彼女の許に帰れと右京は言う。
そのときに、正義よりも大事なことがあるはず、と言う。
この場合は、大事なことというのは、自分を信じ、愛している恋人を守ることだ。
正義というのは、多くの場合は、法律に従った、論理的な部分が多い。
正義を守ることは重要であるのは言うまでもない。
だがそれだけですべてが収まるわけではない。
罪を犯した子供であっても、親であれば、子供を守ろうとする。
それは親子の情愛というものだ。
犯した罪は償わなければならない。だが、そこには法律だけで裁けない部分もある。
そのようなことを考えながら、柚月裕子の「最後の証人」を読んだ。
読んでいるうちに、確かに2年前にテレビで見たシーンがよみがえってくる。
テレビを見てしまっているので、小説の読者でないと味わえない、作者が用意したストーリーの面白さが半減してしまうところもある。手品のタネをすでに知っているというのと同じだ。
テレビドラマでは、主人公の佐方弁護士に上川隆也、法廷で佐方弁護士に対決する庄司検事に松下由樹、被告に大杉蓮、庄司検事の上司の公判部長に伊武雅刀、最後の証人の元刑事に平田満という重厚な配役が揃う。
テレビドラマの中では、女性が殺されたホテルの部屋に一緒にいた大杉蓮が真犯人として裁判にかけられる。誰がどうみても犯人に間違いないと考えられている状況で、弁護を佐方弁護士が引き受ける。
小説のなかでは、7年前の交通事故から話が始まっている。時系列に話が展開していくが、裁判のなかの場面と、それ以前の場面が、短い周期で繰り返される。交通事故では、少年が雨の夜、自転車で塾から家路を急ぐが、飲酒運転で信号無視をする車に跳ねられて死んでしまう。その車を運転していた男が、建設会社の社長で、しかも警察にも顔が効くということから、交通事故は、少年の信号無視ということで処理される。一人息子を失った両親は、復讐を考える。
そのような筋の中で、裁判が始まっている。ホテルの部屋の中にいたのは子供を亡くした母親と子供を車ではねた男性の二人だ。誰もが、母親が男性を殺したと思って、読み進む。
読者は当然、殺されたのが男性だと思っている。
ところが裁判の場面に入ってから、実は殺されたのが母親であることが明らかになる。
テレビドラマでは、初めから女性が殺されているところから始まる。このあたりは、文字で描くストーリーと、画像から入っていくストーリーの違いだ。
小説の主人公は、弁護士の佐方であるので、筋書きとしては、裁判に佐方が勝つ。男が無罪になるというエンディングになることが予想される。小説を読み進んでいくと、どのような方法で無罪という結論がでるのか、子供を引き殺した男性が裁かれないのか、正義は守られているのか、警察まで巻き込んだ真実を隠蔽した犯罪を正すことはできるのか、いくつものことが、頭のなかをかけまわる。
絶対に有罪と思われていた被告が、敏腕弁護士により、無罪を勝ち取るというストーリーだけでは決してない。
登場人物の人生、生き方が問われながら、心の葛藤が描かれながら、話が進んで行く。
そこには、法律による正義とは、あきらかに別のものがある。そこに正義よりも大事なものがあるのかもしれないが、小説では、あくまでも正義を守る、真実を明らかにする、それにより裁かれる者が正しく裁かれるということが一番大事であるという、メッセージが根幹となっている。
テレビでは、「最後の証人」、「検事の死命」、「検事の本懐」という順に放映されている。
文庫本は、3冊まとめて購入した。次は、「検事の死命」を読むことにする。
