大学での試験(2)
- 2015/03/01
- 00:00
僕が専門課程に進んでからも、もちろん腐れ縁のE君とは一緒だった。
二人一組の卒論も一緒にやった。体力には自信があったので、体力勝負の実験のテーマを選んだ。
疲労実験である。
疲労実験というは、ひたすら試験片を破断するまで、繰り返し荷重をかけ続けるのである。
負荷した荷重と破断するまでの荷重をかけた回数の関係を実験で調べるのだ。
いろいろ条件を変えて、疲労実験をするのだが、ある条件について、荷重をかえていくつかの計測値が必要となる。
例えば、荷重10 kg をかけて1000回で破断したとすると、次は、20kgをかけて何回で破断するか、50 kgをかけて何回で破断するか、、、という調子で実験をするのである。
荷重が増えると当然破断するまでの回数は減っていく、すなわち実験時間は減る。
時間が短縮できるのは、楽になる方だ。
大変なのは、荷重を減らす場合だ。破断するまでの回数は増え、実験時間も増える。
回数が2倍になる場合は、実験時間も2倍になるかというと、多くの場合は、そうはならない。
回数が2倍になる場合は、約100倍に、回数が3倍になる場合は、約1000倍となることが多い。
これは指数関数できいてくるのだ。10x10=100, 10x10x10=1000 という具合だ。
こうなると1時間かかっていたものが、100時間、1000時間というペースで増えていく。
100時間だと、4日程度、1000時間になると1ヶ月以上になる。
卒論では、全体の実験を3ヶ月程度で終わらせないといけなかった。
その期間中に多くの種類の計測パターンをやる必要があったので、長くても一つの実験には、数日以内という制限をつけていた。
実験をするための装置が特別なもので、特注品が1台だけ。
一度にひとつの実験しかできない。
同時に複数の実験を行うことができないのだ。
一晩かかる実験をやっていたとき、破断回数は、目で確かめないといけないので、実験も徹夜になった。
徹夜で起きていることになる。
当時は徹夜麻雀も平気だったので、そのくらいはなんということはない。
なにしろ、頭脳はできるだけ使わずに、体力勝負のテーマを選んでいる。
時々、試験片の状況を実験の控え室から見に行く。
実験装置が結構うるさくて、四六時中そばにいるのはつらい。
そこで長い実験のときは、控え室にいて、頃合いをみては、試験片を見に行くのだ。
自動的に破断回数を表示するような機能があればよいのだが、その実験装置には、そのような気の効いた機能はない。
その部分は人力である。
徹夜実験の日は、随分冷え込んだ日だった。
明け方近く、ようやく試験片にクラックが見つかった。
亀裂が発生したのだ。
その回数を記録して、実験は終了だ。
大きな背伸びをして、E君と二人で、徹夜明けの実験室の外に出た。
外気が肌に冷たい。
それもそのはず、外は一晩にして雪景色だった。
東京では珍しい雪の日だ。
妙に新鮮な感じがして、その日の朝のことは、今でも覚えている。
この実験では、初めて経験することも多かったが、液体窒素を使ったことも初めての経験だった。
液体窒素は、マイナス196°。試験片を液体窒素につけた状態で実験をした。
ターミネーター2でサイボーグが、タンクローリーから漏れ出た液体窒素をかぶって、体がとけてしまうシーンがあるが、あの液体窒素である。
E君とは、体力勝負の卒論実験を二人で乗り切ったのであるが、彼の豪快な一面を、またもや見たことがあった。
それは学部2年目の試験のときだ。
無事に通れば、これが学生最後の試験となる。
試験時間は2時間だった。
試験時間というのは長くても、できないものはできないのである。
優秀な学生にとっては、長い試験時間は、いくらでも有効に使えるわけだが、出来の悪い学生には、時間をもてあますことになる。
試験の途中で、E君が席を立った。トイレに行く気配だ。
しばらくすると、一緒に試験を受けていたS君も席を立つ。
まだE君は戻ってこない。
待てど暮らせど、二人は戻ってこない。
答案用紙は、机の上に置いてある。
窓の外を見ると、談話室が見える。
その中に二人の姿がある。
そこは、昼休みや授業終了後の学生のたまり場でもあった。
囲碁盤や将棋盤が置いてある。
そう、二人は、囲碁を打っているのである。
表情は遠目で定かではないが、どうみても、試験を受けているときよりも真剣に見える。
いまでは考えられない時代でもあった。
教官も学生ものんびりしていたのかもしれない。
そういうなかで学生生活を楽しんでいた時代であった。
E君は、いまは学生時代に生まれた娘さんの子供、彼にとってはお孫さんと楽しくやっているそうだ。
S君は、残念なことに三十代で早世された。

二人一組の卒論も一緒にやった。体力には自信があったので、体力勝負の実験のテーマを選んだ。
疲労実験である。
疲労実験というは、ひたすら試験片を破断するまで、繰り返し荷重をかけ続けるのである。
負荷した荷重と破断するまでの荷重をかけた回数の関係を実験で調べるのだ。
いろいろ条件を変えて、疲労実験をするのだが、ある条件について、荷重をかえていくつかの計測値が必要となる。
例えば、荷重10 kg をかけて1000回で破断したとすると、次は、20kgをかけて何回で破断するか、50 kgをかけて何回で破断するか、、、という調子で実験をするのである。
荷重が増えると当然破断するまでの回数は減っていく、すなわち実験時間は減る。
時間が短縮できるのは、楽になる方だ。
大変なのは、荷重を減らす場合だ。破断するまでの回数は増え、実験時間も増える。
回数が2倍になる場合は、実験時間も2倍になるかというと、多くの場合は、そうはならない。
回数が2倍になる場合は、約100倍に、回数が3倍になる場合は、約1000倍となることが多い。
これは指数関数できいてくるのだ。10x10=100, 10x10x10=1000 という具合だ。
こうなると1時間かかっていたものが、100時間、1000時間というペースで増えていく。
100時間だと、4日程度、1000時間になると1ヶ月以上になる。
卒論では、全体の実験を3ヶ月程度で終わらせないといけなかった。
その期間中に多くの種類の計測パターンをやる必要があったので、長くても一つの実験には、数日以内という制限をつけていた。
実験をするための装置が特別なもので、特注品が1台だけ。
一度にひとつの実験しかできない。
同時に複数の実験を行うことができないのだ。
一晩かかる実験をやっていたとき、破断回数は、目で確かめないといけないので、実験も徹夜になった。
徹夜で起きていることになる。
当時は徹夜麻雀も平気だったので、そのくらいはなんということはない。
なにしろ、頭脳はできるだけ使わずに、体力勝負のテーマを選んでいる。
時々、試験片の状況を実験の控え室から見に行く。
実験装置が結構うるさくて、四六時中そばにいるのはつらい。
そこで長い実験のときは、控え室にいて、頃合いをみては、試験片を見に行くのだ。
自動的に破断回数を表示するような機能があればよいのだが、その実験装置には、そのような気の効いた機能はない。
その部分は人力である。
徹夜実験の日は、随分冷え込んだ日だった。
明け方近く、ようやく試験片にクラックが見つかった。
亀裂が発生したのだ。
その回数を記録して、実験は終了だ。
大きな背伸びをして、E君と二人で、徹夜明けの実験室の外に出た。
外気が肌に冷たい。
それもそのはず、外は一晩にして雪景色だった。
東京では珍しい雪の日だ。
妙に新鮮な感じがして、その日の朝のことは、今でも覚えている。
この実験では、初めて経験することも多かったが、液体窒素を使ったことも初めての経験だった。
液体窒素は、マイナス196°。試験片を液体窒素につけた状態で実験をした。
ターミネーター2でサイボーグが、タンクローリーから漏れ出た液体窒素をかぶって、体がとけてしまうシーンがあるが、あの液体窒素である。
E君とは、体力勝負の卒論実験を二人で乗り切ったのであるが、彼の豪快な一面を、またもや見たことがあった。
それは学部2年目の試験のときだ。
無事に通れば、これが学生最後の試験となる。
試験時間は2時間だった。
試験時間というのは長くても、できないものはできないのである。
優秀な学生にとっては、長い試験時間は、いくらでも有効に使えるわけだが、出来の悪い学生には、時間をもてあますことになる。
試験の途中で、E君が席を立った。トイレに行く気配だ。
しばらくすると、一緒に試験を受けていたS君も席を立つ。
まだE君は戻ってこない。
待てど暮らせど、二人は戻ってこない。
答案用紙は、机の上に置いてある。
窓の外を見ると、談話室が見える。
その中に二人の姿がある。
そこは、昼休みや授業終了後の学生のたまり場でもあった。
囲碁盤や将棋盤が置いてある。
そう、二人は、囲碁を打っているのである。
表情は遠目で定かではないが、どうみても、試験を受けているときよりも真剣に見える。
いまでは考えられない時代でもあった。
教官も学生ものんびりしていたのかもしれない。
そういうなかで学生生活を楽しんでいた時代であった。
E君は、いまは学生時代に生まれた娘さんの子供、彼にとってはお孫さんと楽しくやっているそうだ。
S君は、残念なことに三十代で早世された。
