岡野俊一郎さんのこと
- 2017/02/06
- 00:00
岡野俊一郎さんが亡くなられた。
日本のサッカー界を長年リードされてきた方だ。
近いところでは、日韓共催のワールドカップを実現し成功裡に終わらせた。
古くは1964年の東京オリンピックでのベスト8入り、メキシコオリンピックでの銅メダル獲得につながった、クラマーコーチの招へい等々、日本のサッカー界の基礎を作られた人だ。
僕自身、サッカーには、野球ほどの関心をもっていなかったのだが、ワールドカップやオリンピックでの国を挙げての試合となると、力が入るものだ。オリンピックでのサッカーの成績は、いまだにメキシコの銅メダルには追いつかない。
僕のなかでの岡野さんは、テレビでの解説に登場している解説者としての岡野さんだ。
ぼんやりとしか覚えていないが、優しい語り口で、それでいて、的確なことを話されていた記憶がある。
享年85。
サッカー界での仕事だけかと思っていたら、実は実家が東京・上野の和菓子店「岡埜栄泉」だという。その代表取締役もされていたのだ。この話は、「天声人語」から知ったことである。
日本サッカー界では、日本サッカー協会の会長を務めた、長沼健さん、川淵三郎さんと、日本のサッカーをリードされた卓越した人材が出ている。その活動は、単にサッカーだけにとどまることなく、また当然日本のなかだけではなく、世界というものを常に視野にいれておられた。野球と比べるのは、適切ではないかもしれないが、このような観点では、圧倒的にサッカー界の活動が野球界を圧倒している。
「天声人語」によると、岡野俊一郎さんは、2020年の東京オリンピックのことを危惧されていたそうだ。
このままだと、観光客を増やすための大会、おもてなしのための大会になってしまうと。
終わったあとに、後世に残る大会、日本のなかに、これからの人たちに、2020年東京大会をやってよかったと言われるようなオリンピックにしないといけないと思っておられたのだろう。
そのようなことを真剣に考えている人がどのくらい、この国にいるのだろうか。
物欲ばかりにとらわれていると、金勘定、損得勘定だけに走ってしまう。
こころのなかで一番大切なものを、後ろに伝えていくということを、考えてもいいはずだ。
岡野俊一郎さんのご冥福をお祈りする。
天声人語だ。


日本のサッカー界を長年リードされてきた方だ。
近いところでは、日韓共催のワールドカップを実現し成功裡に終わらせた。
古くは1964年の東京オリンピックでのベスト8入り、メキシコオリンピックでの銅メダル獲得につながった、クラマーコーチの招へい等々、日本のサッカー界の基礎を作られた人だ。
僕自身、サッカーには、野球ほどの関心をもっていなかったのだが、ワールドカップやオリンピックでの国を挙げての試合となると、力が入るものだ。オリンピックでのサッカーの成績は、いまだにメキシコの銅メダルには追いつかない。
僕のなかでの岡野さんは、テレビでの解説に登場している解説者としての岡野さんだ。
ぼんやりとしか覚えていないが、優しい語り口で、それでいて、的確なことを話されていた記憶がある。
享年85。
サッカー界での仕事だけかと思っていたら、実は実家が東京・上野の和菓子店「岡埜栄泉」だという。その代表取締役もされていたのだ。この話は、「天声人語」から知ったことである。
日本サッカー界では、日本サッカー協会の会長を務めた、長沼健さん、川淵三郎さんと、日本のサッカーをリードされた卓越した人材が出ている。その活動は、単にサッカーだけにとどまることなく、また当然日本のなかだけではなく、世界というものを常に視野にいれておられた。野球と比べるのは、適切ではないかもしれないが、このような観点では、圧倒的にサッカー界の活動が野球界を圧倒している。
「天声人語」によると、岡野俊一郎さんは、2020年の東京オリンピックのことを危惧されていたそうだ。
このままだと、観光客を増やすための大会、おもてなしのための大会になってしまうと。
終わったあとに、後世に残る大会、日本のなかに、これからの人たちに、2020年東京大会をやってよかったと言われるようなオリンピックにしないといけないと思っておられたのだろう。
そのようなことを真剣に考えている人がどのくらい、この国にいるのだろうか。
物欲ばかりにとらわれていると、金勘定、損得勘定だけに走ってしまう。
こころのなかで一番大切なものを、後ろに伝えていくということを、考えてもいいはずだ。
岡野俊一郎さんのご冥福をお祈りする。
天声人語だ。

