星野監督のメッセージ <2002年甲子園最終戦>
- 2018/01/14
- 00:00
星野監督が、2002年の甲子園最終戦での挨拶の最後に、ライトスタンドの応援団席に向かって言った言葉。
それをブログに書いた。
僕はその日は、甲子園には行っていない。
応援団の人に聞いた話だ。
星野監督の言葉がどこかにないかと探してみた。
やはり、そういうことを書いている阪神ファンはいるのだ。
GOOGLEで検索すると、最初にでてきたのが、”トラファンニッキ”だ。
2007年9月30日(日)に書いた記事である。
「02年最終戦、星野監督のスピーチを振り返る。」というタイトル。
そうそう、これこれ。
早速読み進む。
最初に試合経過の説明。阪神は見事な逆転劇で勝利を飾る。
最後は、この年で引退した、遠山投手が登板して、打者一人を三振に取る。
これも星野監督の心憎いばかりの采配である。
そして星野監督の挨拶へと続く。
以下、引用させていただく。
マウンド上で星野仙一監督がスピーチ。(うろ覚えですが・・・)
「タイガースファンのみなさん、永きに渡り、熱き応援、本当に感謝します。開幕7連勝、一時は首位に立つこともありましたが、6月のワールドカップの変則日程にしてやられました。ワールドカップ期間中のおかしな日程で、阪神らしい野球が出来なくて悔しい。来シーズンはこの悔しさをバネに、明日から出直します。
今シーズンは皆さんに悔し涙を流してもらったが、来年こそは皆さんに嬉し涙を流してもらいます。
悔し涙を嬉し涙に変えようと、選手と誓い合っています。タイガースファンの皆さん、ありがとう。最後までこのセレモニーにお付き合い頂いたドラゴンズファンの皆さん、ありがとう。明日から来シーズンが始まります。来年を楽しみにしていてください。ありがとうございました。」
うーん、これだけ長い挨拶を覚えておられるのは、さすがに阪神ファンである。
素晴らしい。
だが、ライトスタンドへのメッセージのくだりがない。
あれは、僕の勘違いなのだろうか。
もっと探してみないと。
やはり動画だね。
(つづく)
2004年4月9日の甲子園。井川が快投。中日に完勝の試合。
監督は、星野監督から岡田監督に変わった1年目だ。





それをブログに書いた。
僕はその日は、甲子園には行っていない。
応援団の人に聞いた話だ。
星野監督の言葉がどこかにないかと探してみた。
やはり、そういうことを書いている阪神ファンはいるのだ。
GOOGLEで検索すると、最初にでてきたのが、”トラファンニッキ”だ。
2007年9月30日(日)に書いた記事である。
「02年最終戦、星野監督のスピーチを振り返る。」というタイトル。
そうそう、これこれ。
早速読み進む。
最初に試合経過の説明。阪神は見事な逆転劇で勝利を飾る。
最後は、この年で引退した、遠山投手が登板して、打者一人を三振に取る。
これも星野監督の心憎いばかりの采配である。
そして星野監督の挨拶へと続く。
以下、引用させていただく。
マウンド上で星野仙一監督がスピーチ。(うろ覚えですが・・・)
「タイガースファンのみなさん、永きに渡り、熱き応援、本当に感謝します。開幕7連勝、一時は首位に立つこともありましたが、6月のワールドカップの変則日程にしてやられました。ワールドカップ期間中のおかしな日程で、阪神らしい野球が出来なくて悔しい。来シーズンはこの悔しさをバネに、明日から出直します。
今シーズンは皆さんに悔し涙を流してもらったが、来年こそは皆さんに嬉し涙を流してもらいます。
悔し涙を嬉し涙に変えようと、選手と誓い合っています。タイガースファンの皆さん、ありがとう。最後までこのセレモニーにお付き合い頂いたドラゴンズファンの皆さん、ありがとう。明日から来シーズンが始まります。来年を楽しみにしていてください。ありがとうございました。」
うーん、これだけ長い挨拶を覚えておられるのは、さすがに阪神ファンである。
素晴らしい。
だが、ライトスタンドへのメッセージのくだりがない。
あれは、僕の勘違いなのだろうか。
もっと探してみないと。
やはり動画だね。
(つづく)
2004年4月9日の甲子園。井川が快投。中日に完勝の試合。
監督は、星野監督から岡田監督に変わった1年目だ。




