母が逝く
- 2018/06/27
- 00:00
父が亡くなってから、母はひとりになって、すこしは、負担が減ったのだろうか。
耳は遠くなったが、話す方は、元気な人と変わらないくらいの勢いで話をしていた。
同じところでまわってしまって、マイナスのらせん階段を進むようなときがあった。
あまり、細かいことは気にせずに、もっとのんびりと気楽に考えたほうが、きっと体にもいいよ。
と、大分弱ってきた足腰に、自分でもいらだちを見せるような母に話しかけた。
また来るねと言って、日曜日の夕方、部屋を出た。
次の日の午前中に、連絡が入る。
部屋で倒れていたところを、介護をする人が見つけたという。
ベッドから洗面所に行こうとして、転んだらしい。
念のため、救急車で病院に行くことになった。
病院に行ったときは、1週間もすれば退院できる、むしろ必ず退院してくださいということを病院の担当の人から言われた。
骨も折れてません。検査の結果、異常は見つかりません。
ただ、インフルエンザが陽性です。
2~3日もすれば元気になるでしょう、と。
ところが翌日から、具合が悪くなる。
ベッドに寝ていて、目をあけていても、見えていないようで、反応がない。
呼びかけても、聞こえていないようだ。
それから1カ月以上、同じ状態が続く。
多少元気に見える日。顔のつやの良い日がある。
それが、ひどく疲れて見える日もある。
山谷がある。
入院してから、49日目。
母が逝く。
最期に話した言葉が虚しく、心のなかに残っている。
まるで、ひとりで残しておくのが心配で、父が呼びに来たように思える。
僕のなかの父と母が、半年も時をあけることなく、去ってしまう。
平均寿命よりも長く生きた二人だったが、それは統計の話だ。
今、二人が生活していた家に住む。
姿は見えないのだが、いつもそばにいるような気持ちになる。
しばらくは、このような流れのなかにいることにしよう。
母の木。今も庭にあるが、花を咲かせない。
主がいないことが分かっているのだろうか。
この写真は、2年前の夏だ。

耳は遠くなったが、話す方は、元気な人と変わらないくらいの勢いで話をしていた。
同じところでまわってしまって、マイナスのらせん階段を進むようなときがあった。
あまり、細かいことは気にせずに、もっとのんびりと気楽に考えたほうが、きっと体にもいいよ。
と、大分弱ってきた足腰に、自分でもいらだちを見せるような母に話しかけた。
また来るねと言って、日曜日の夕方、部屋を出た。
次の日の午前中に、連絡が入る。
部屋で倒れていたところを、介護をする人が見つけたという。
ベッドから洗面所に行こうとして、転んだらしい。
念のため、救急車で病院に行くことになった。
病院に行ったときは、1週間もすれば退院できる、むしろ必ず退院してくださいということを病院の担当の人から言われた。
骨も折れてません。検査の結果、異常は見つかりません。
ただ、インフルエンザが陽性です。
2~3日もすれば元気になるでしょう、と。
ところが翌日から、具合が悪くなる。
ベッドに寝ていて、目をあけていても、見えていないようで、反応がない。
呼びかけても、聞こえていないようだ。
それから1カ月以上、同じ状態が続く。
多少元気に見える日。顔のつやの良い日がある。
それが、ひどく疲れて見える日もある。
山谷がある。
入院してから、49日目。
母が逝く。
最期に話した言葉が虚しく、心のなかに残っている。
まるで、ひとりで残しておくのが心配で、父が呼びに来たように思える。
僕のなかの父と母が、半年も時をあけることなく、去ってしまう。
平均寿命よりも長く生きた二人だったが、それは統計の話だ。
今、二人が生活していた家に住む。
姿は見えないのだが、いつもそばにいるような気持ちになる。
しばらくは、このような流れのなかにいることにしよう。
母の木。今も庭にあるが、花を咲かせない。
主がいないことが分かっているのだろうか。
この写真は、2年前の夏だ。
