タイポグリセミナ現象 と さなづら
- 2018/11/17
- 21:52
.結構長く生きていても、初めて聞く言葉があるものだ。
タイポグリセミアという言葉はそのひとつだ。
新しいものとの出会いである。大げさにいえば、未知との遭遇ということになる。
この言葉の意味は、文章というものは、きちんと書いていなくても、初めの言葉と、終わり言葉があっていて、その中の言葉を適当に並べ替えても、読んだ人には意味が通じるということを言うらしい。
海外の研究所で発表された現象とのことで、もちろん日本語はないのだが、僕の聞いた例文ではこういう形だ。
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく。
確かに正確ではないが、意味は通じる。
これのタイポグリセミアと同じく、初めて聞いた単語がある。
それは、“さなづら“という言葉だ。
同じ知らない言葉同士でも、その関連性は全くない。
これは、秋田の銘菓である。
秋田に行く前に、奨められたのだが、帰りの便で、秋田空港を飛び立つ前に、空港の土産物コーナーで見つけたのだ。
形は直方体である。薄い。色は赤。
口に入れる前は、砂糖が随分と効いているのではないかと想像したのだが、確かに甘いが、それは甘すぎる甘さではない。
食感は、ゼリーのような羊羹のような、口の中に甘さとほんのすこしの酸っぱさが広がる。
美味である。
久しぶりに、美味しい土産物に遭遇した。
今度、秋田に行くときも買ってくることにしようと決めた。






タイポグリセミアという言葉はそのひとつだ。
新しいものとの出会いである。大げさにいえば、未知との遭遇ということになる。
この言葉の意味は、文章というものは、きちんと書いていなくても、初めの言葉と、終わり言葉があっていて、その中の言葉を適当に並べ替えても、読んだ人には意味が通じるということを言うらしい。
海外の研究所で発表された現象とのことで、もちろん日本語はないのだが、僕の聞いた例文ではこういう形だ。
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく。
確かに正確ではないが、意味は通じる。
これのタイポグリセミアと同じく、初めて聞いた単語がある。
それは、“さなづら“という言葉だ。
同じ知らない言葉同士でも、その関連性は全くない。
これは、秋田の銘菓である。
秋田に行く前に、奨められたのだが、帰りの便で、秋田空港を飛び立つ前に、空港の土産物コーナーで見つけたのだ。
形は直方体である。薄い。色は赤。
口に入れる前は、砂糖が随分と効いているのではないかと想像したのだが、確かに甘いが、それは甘すぎる甘さではない。
食感は、ゼリーのような羊羹のような、口の中に甘さとほんのすこしの酸っぱさが広がる。
美味である。
久しぶりに、美味しい土産物に遭遇した。
今度、秋田に行くときも買ってくることにしようと決めた。





