父のこと(2)
- 2019/01/20
- 00:00
父が老人ホームにいた期間は、17か月だ。
その間、いろいろなことがあった。
母がリハビリ病院から退院して、引っ越してきてからは、2つの部屋を使って、一つは寝室、ひとつはリビングのように使っていた。
二人だけのときを見ることは、できないのだが、あるときは、母が父を叱り、あるときは父が母に厳しくあたる、ということもあったようだ。
僕が会いに行くときは、あまり長い時間いることはなかったが、1週間に一度は、顔を見に行っていた。
帰るときは、3階の部屋から、エレベータのところまで、見送りに来ていた。
それが、部屋のドアのところまでの見送りに変わり、それが、次第に、ベッドの上に座って、手を振るだけになった。
最後は、ベッドの中で寝ていることが多かった。
あるとき、それは、今思うと、なくなる3か月くらい前の夏のことだ。
ふらっとして、意識を失って、病院に運ばれたことがあった。
病院のベッドの上で、担当の医師にここに置いて欲しいと訴えていた。
だが、病院は、治療を必要としない者は退院させる方針だ。
病院を老人ホーム代わりにしてもらうのは困るというわけだ。
確かに、そういう人が増えると、老人大国の日本では、病院が老衰している年寄りで溢れかえることだろう。
その頃、父は老人ホームにいても、母に迷惑をかけると思っていたのだろう。
自分は病院で介護してもらいたいと思っていたに違いない。
でも、それはできない。
また、老人ホームに戻ってくる。
最後は、駆け抜けるように、逝ってしまった。
今は、広島の墓にいる。
今、僕はお墓の前で手を合わせる。
父の墓のあるお寺の裏を流れる太田川。

その間、いろいろなことがあった。
母がリハビリ病院から退院して、引っ越してきてからは、2つの部屋を使って、一つは寝室、ひとつはリビングのように使っていた。
二人だけのときを見ることは、できないのだが、あるときは、母が父を叱り、あるときは父が母に厳しくあたる、ということもあったようだ。
僕が会いに行くときは、あまり長い時間いることはなかったが、1週間に一度は、顔を見に行っていた。
帰るときは、3階の部屋から、エレベータのところまで、見送りに来ていた。
それが、部屋のドアのところまでの見送りに変わり、それが、次第に、ベッドの上に座って、手を振るだけになった。
最後は、ベッドの中で寝ていることが多かった。
あるとき、それは、今思うと、なくなる3か月くらい前の夏のことだ。
ふらっとして、意識を失って、病院に運ばれたことがあった。
病院のベッドの上で、担当の医師にここに置いて欲しいと訴えていた。
だが、病院は、治療を必要としない者は退院させる方針だ。
病院を老人ホーム代わりにしてもらうのは困るというわけだ。
確かに、そういう人が増えると、老人大国の日本では、病院が老衰している年寄りで溢れかえることだろう。
その頃、父は老人ホームにいても、母に迷惑をかけると思っていたのだろう。
自分は病院で介護してもらいたいと思っていたに違いない。
でも、それはできない。
また、老人ホームに戻ってくる。
最後は、駆け抜けるように、逝ってしまった。
今は、広島の墓にいる。
今、僕はお墓の前で手を合わせる。
父の墓のあるお寺の裏を流れる太田川。
