厳しい時代(1)
- 2015/03/16
- 00:00
若い頃、設計の仕事をしていた。
いまでいうものづくりの現場である。
当時は紙と鉛筆で図面を書く。
今は、それがCADに変わって,機械が図面を書いてくれる。
3次元CADとかも結構使える。
当時とは、当然のことながら環境は大きく変わっている。
設計の事務所は、となりで物を作っていた。
まさにものづくりの現場が横にある。
就業時間は規則正しい。
工場のなかの設計事務所なので、朝は8時始業、夕方は17時が定時である。
昼休みは、12時から13時まで、1時間きっちりとある。
すべてがベルが合図となっている。
一斉に食事をし、昼休みが終わると全員机に戻ってくる。
昼休みの過ごし方は、まちまちだ。
体を動かす人は、外に出て、テニスをやったり、バレーボールをしたり、夏の暑いときはめいっぱい汗をかく。
外に出ずに部屋の中に残っている人もいる。
囲碁を打ったり、将棋を指したりしている。
そのような過ごし方をするのは、いわゆる平社員である。
せいぜい係長までで、課長以上が,この輪の中に入っていることはまれだった。
課長、部長は、自席で新聞を読んだり、少し気分がよいときは、将棋や囲碁をやっている連中のところに来て、盤面を覗き込む。
外でスポーツに興じる人は、中途半端ではない。
勝負となると真剣である。
僕の場合は、走り回れるくらい広い現場で、野球をやることが多かった。
少人数で気のあった同士の、三角ベースという野球だ。
ホームベース、一塁、二塁までで、三塁がない。それで三角形となるので、三角ベースと呼んでいた。
部屋のなかでの勝負事も、もちろんスポーツに負けず、真剣である。
こちらは1対1の勝負なので、もっと真剣だったかもしれない。
13時までには、多くの場合決着が付く。
次の日に持ち越すことは、まずない。
ある部門の課長に、仕事に非常に厳しい人がいた。
そのM課長は、鬼のMと言われていた。
できあがった図面のチェックとなると、半端ではない。
M課長にとっては、そこが真剣勝負の場なのである。
質問に対して明確な答えがないときは、烈火のごとく怒り出す。
雷が落ちてくる。
M課長の昼休みは、いつも自席での新聞だ。
そして遠くから、将棋を指している部下を見ている。
盤面は見えないが、将棋を指している部下の表情は読み取れる。
図面のチェックのときに言い放った。
「おまえたちは、昼休みに将棋を指しているだろう。
そのときの真剣さは、まるで命を賭けているようだ。
その真剣さで、図面を書いてみろ」
確かに、自分が好きなものに対する真剣さというのは、自分がそれを好きな分だけ、底なしにのめり込めるのだろう。
ところが仕事でやっている設計の仕事は、そこまでのめり込むことはない。
M課長の言う命を賭けるところまでは、当然いかない。
真剣さで比較すると、昼休みの将棋に軍配が上がる。
そのことが、仕事に命を賭けている、いやそうにちがいない、M課長にとっては、許されない。
自分がこれだけ真剣にやっているのに、部下ときたら、適当に図面を書いている、ということになる。
自分より若い設計者に、自分と同じことを求めることは所詮無理なのだ。
その話を聞いた当時は、きっと彼らは、将棋に命を賭けているわけではないし、ましてや仕事に命を賭けて、どないすんねん、と思ったものである。
このような辛口も辛口、非常に厳しい上司というのは、今は、いるのだろうか。
CADのような機械を使いまくる設計のなかで、パソコンを使いきるような仕事のなかで、そのような厳しい上司は出てこないのではないだろうか。
鬼課長は、紙と鉛筆で図面を書いていた時代の産物なのではないだろうか。
今となっては、懐かしさが先に立つが、当時は苦痛だった鬼課長の言葉も、ずっと後になって、ありがたく思ってしまうのは、自分自身が年を重ねたせいかいもしれない。
きっとこういう人たちが、日本のものづくりを支えていたに違いない。
もちろん、そのなかで苦しんでいた若手技術者が多くいたのであるが。
ものづくりを現場で支えていた人たちの話だ。

いまでいうものづくりの現場である。
当時は紙と鉛筆で図面を書く。
今は、それがCADに変わって,機械が図面を書いてくれる。
3次元CADとかも結構使える。
当時とは、当然のことながら環境は大きく変わっている。
設計の事務所は、となりで物を作っていた。
まさにものづくりの現場が横にある。
就業時間は規則正しい。
工場のなかの設計事務所なので、朝は8時始業、夕方は17時が定時である。
昼休みは、12時から13時まで、1時間きっちりとある。
すべてがベルが合図となっている。
一斉に食事をし、昼休みが終わると全員机に戻ってくる。
昼休みの過ごし方は、まちまちだ。
体を動かす人は、外に出て、テニスをやったり、バレーボールをしたり、夏の暑いときはめいっぱい汗をかく。
外に出ずに部屋の中に残っている人もいる。
囲碁を打ったり、将棋を指したりしている。
そのような過ごし方をするのは、いわゆる平社員である。
せいぜい係長までで、課長以上が,この輪の中に入っていることはまれだった。
課長、部長は、自席で新聞を読んだり、少し気分がよいときは、将棋や囲碁をやっている連中のところに来て、盤面を覗き込む。
外でスポーツに興じる人は、中途半端ではない。
勝負となると真剣である。
僕の場合は、走り回れるくらい広い現場で、野球をやることが多かった。
少人数で気のあった同士の、三角ベースという野球だ。
ホームベース、一塁、二塁までで、三塁がない。それで三角形となるので、三角ベースと呼んでいた。
部屋のなかでの勝負事も、もちろんスポーツに負けず、真剣である。
こちらは1対1の勝負なので、もっと真剣だったかもしれない。
13時までには、多くの場合決着が付く。
次の日に持ち越すことは、まずない。
ある部門の課長に、仕事に非常に厳しい人がいた。
そのM課長は、鬼のMと言われていた。
できあがった図面のチェックとなると、半端ではない。
M課長にとっては、そこが真剣勝負の場なのである。
質問に対して明確な答えがないときは、烈火のごとく怒り出す。
雷が落ちてくる。
M課長の昼休みは、いつも自席での新聞だ。
そして遠くから、将棋を指している部下を見ている。
盤面は見えないが、将棋を指している部下の表情は読み取れる。
図面のチェックのときに言い放った。
「おまえたちは、昼休みに将棋を指しているだろう。
そのときの真剣さは、まるで命を賭けているようだ。
その真剣さで、図面を書いてみろ」
確かに、自分が好きなものに対する真剣さというのは、自分がそれを好きな分だけ、底なしにのめり込めるのだろう。
ところが仕事でやっている設計の仕事は、そこまでのめり込むことはない。
M課長の言う命を賭けるところまでは、当然いかない。
真剣さで比較すると、昼休みの将棋に軍配が上がる。
そのことが、仕事に命を賭けている、いやそうにちがいない、M課長にとっては、許されない。
自分がこれだけ真剣にやっているのに、部下ときたら、適当に図面を書いている、ということになる。
自分より若い設計者に、自分と同じことを求めることは所詮無理なのだ。
その話を聞いた当時は、きっと彼らは、将棋に命を賭けているわけではないし、ましてや仕事に命を賭けて、どないすんねん、と思ったものである。
このような辛口も辛口、非常に厳しい上司というのは、今は、いるのだろうか。
CADのような機械を使いまくる設計のなかで、パソコンを使いきるような仕事のなかで、そのような厳しい上司は出てこないのではないだろうか。
鬼課長は、紙と鉛筆で図面を書いていた時代の産物なのではないだろうか。
今となっては、懐かしさが先に立つが、当時は苦痛だった鬼課長の言葉も、ずっと後になって、ありがたく思ってしまうのは、自分自身が年を重ねたせいかいもしれない。
きっとこういう人たちが、日本のものづくりを支えていたに違いない。
もちろん、そのなかで苦しんでいた若手技術者が多くいたのであるが。
ものづくりを現場で支えていた人たちの話だ。
