Gさんが逝く(2)
- 2020/04/08
- 00:00
Gさんに病院以外でお会いしたのは、昨年の11月のセミナーが最後だ。
そのときは、すでに抗がん剤治療を始められていた。
1週間くらいの入院を1か月に1回、繰り返しておられた。
普通ならセミナーに来られることはあり得ない状態であるが、1時間程会場におられた。
その日の講演会では、初めの講演者が、ご自身が招聘した方の話だったので、責任感の強いGさんは、自ら会場に来て、話を聞かれたのだ。
昨年の7月に病院で余命宣告をされている。
絶対に復活すると強い意志をもたれて、闘病生活をされていた。
いままでは、技術の世界でシミュレーションをしてきたが、今度は、自分の体でそれをやるのだ、という強い気持ち。
Gさんの姿勢を見ていると、元気な自分自身が多少つらいことがあっても、決してめげてはいけないと、反対に励まされるような気がした。
闘病生活を始められてからは、電話で話すことになった。
そのときは、いつもの大きな声で、とても病気の人とは思えなかった。
メールをもらっても今までと変わることない言葉が並び、全く病に負けるようなところはなかった。
9月には、一緒にやってきたプロジェクトの第1回目のセミナーを開催したが、そのときは、ちょうど抗がん剤治療中で、抗がん剤の瓶を抱えて、抗がん剤を投与しながら、セミナー会場で聴講されていた。
会場で立ち話をしたが、いつも通りの口調で、いつもの元気のよい話である。
確かに体重が減っていたのは、一目でわかったのだが、気力は全く衰えていることはなかった。
それだけ強い意志をもっておられたGさんでも、病に押し切られてしまった。
1年の余命宣告だったが、7ヶ月で逝ってしまわれた。
Gさんの思いは残っている。
やりたかったことは、まだまだあったはずだ。
僕はGさんの気持ちを継いで、これからもやっていく。
パンダの写真。Gさんが昨年12月末に和歌山のアドベンチャーワールドで撮影した写真。
あの時期に和歌山まで行かれたことが驚きだ。
次号の会誌の候補写真として送ってこられた。
パンダの写真は珍しいものではないので、他の写真にしましょうとGさんには返信したのだが。
再考しよう。

そのときは、すでに抗がん剤治療を始められていた。
1週間くらいの入院を1か月に1回、繰り返しておられた。
普通ならセミナーに来られることはあり得ない状態であるが、1時間程会場におられた。
その日の講演会では、初めの講演者が、ご自身が招聘した方の話だったので、責任感の強いGさんは、自ら会場に来て、話を聞かれたのだ。
昨年の7月に病院で余命宣告をされている。
絶対に復活すると強い意志をもたれて、闘病生活をされていた。
いままでは、技術の世界でシミュレーションをしてきたが、今度は、自分の体でそれをやるのだ、という強い気持ち。
Gさんの姿勢を見ていると、元気な自分自身が多少つらいことがあっても、決してめげてはいけないと、反対に励まされるような気がした。
闘病生活を始められてからは、電話で話すことになった。
そのときは、いつもの大きな声で、とても病気の人とは思えなかった。
メールをもらっても今までと変わることない言葉が並び、全く病に負けるようなところはなかった。
9月には、一緒にやってきたプロジェクトの第1回目のセミナーを開催したが、そのときは、ちょうど抗がん剤治療中で、抗がん剤の瓶を抱えて、抗がん剤を投与しながら、セミナー会場で聴講されていた。
会場で立ち話をしたが、いつも通りの口調で、いつもの元気のよい話である。
確かに体重が減っていたのは、一目でわかったのだが、気力は全く衰えていることはなかった。
それだけ強い意志をもっておられたGさんでも、病に押し切られてしまった。
1年の余命宣告だったが、7ヶ月で逝ってしまわれた。
Gさんの思いは残っている。
やりたかったことは、まだまだあったはずだ。
僕はGさんの気持ちを継いで、これからもやっていく。
パンダの写真。Gさんが昨年12月末に和歌山のアドベンチャーワールドで撮影した写真。
あの時期に和歌山まで行かれたことが驚きだ。
次号の会誌の候補写真として送ってこられた。
パンダの写真は珍しいものではないので、他の写真にしましょうとGさんには返信したのだが。
再考しよう。
