イランの男性(1)
- 2015/03/20
- 00:00
IT関係の仕事をしているときには、外国人のエンジニアとも仕事をする機会が多かった。
ほとんどが欧米から来た人たちであったが、たまに中近東の出身の人もいた。
僕がある時期、一番仕事をしていた外国人、Sさんはイラン人である。
Sさんは、中学に入る頃からアメリカに移り、大学もアメリカで卒業した。
きっとイランでは裕福な家庭に育ったのだろう。
年齢は僕よりひとまわりは若かった。
体は一般的な日本人の中に入っても、目立たない大きさであったが、仕事におけるバイタリティは独特のものがあった。
日本人にまねのできないところがあった。
仕事以外でも、若いせいもあったろうが、元気だった。
普段は東京にいて、大阪に仕事で来るわけである。
あるとき、明日はお客さまのところへ製品説明のための訪問をすることになっていた。
製品とは、ソフトウェアである。
お客さまがそのソフトウェアを使って、どのようなことができるのかを説明するのである。
お客さまのやりたいことを事前にお聞きして、当日までに時間をかけて準備をして、できあがったものをお客さまに見てもらうのである。
現在であれば優秀なCGのソフトウェアがあるので、いくらでも簡単に素晴らしい絵を作る事はできる。
ところが、当時は、そのような高機能なCGのソフトウェアはなく、あっても非常に高価なので、簡便な方法でお客さまのやりたいことを実現できることを提示しなければならなかった。
いわば機械で絵を作るような仕事であり、ここまでできれば終わりという目標がないような仕事である。
見栄えのよい絵を作ることが目標ではあるが、それはここで終わりという線を決めにくい。
東京のオフィスで、ある程度準備をしていたデータを、Sさんは持ってきていた。
僕としては、そのできたものを確認して、ある程度追加と修正があるとしても、今日の仕事は、短時間で済むと思っていた。
18時にはオフィスを出て、食事だな、という心づもり、腹づもりである。
Sさんは、東京で作ってきたデータを僕に見せて、すこし手を入れますね、と作業に入った。
僕は、30分くらいで終わると思って、横で見ている。
Sさんは、そのソフトウェアの使い手としては一流である。
横で見ているだけでも勉強になるのだ。
ソフトウェアの使い方の最前線が分かる。
ところが、1時間たっても、終わらない。
もうこれくらいでいいでしょうと、僕が思っていても、Sさんは、いや、もっとよくなりますと、改良作業をやめない。
僕としては、今日は適当なところ、と言っても20時はまわっているので、これくらいでやめて、明日の景気づけで食事にでも行きましょう、と言いたいのだが、Sさんには妥協がない。
いや、まだです、と作業をやめない。
日本人であれば、絶対にここでやめるのに、と何度も思ったが、Sさんの手は止まらない。
これは、あきらかに中東の血、イラン人の血がなせるものだと思った。
やっとSさんがキーボードから手を離したのは、23時をまわっていた。
もうすこしで日付が変わる。
これ以上やると食事をするところがなくなりますよ、という僕が、空腹で、半ば切れかかっているのが分かったのかもしれない。
これでいいでしょう、とやめてくれた。
ところが、Sさんは決して、仕事だけの男ではない。
その日も深夜までやっている居酒屋にでかけ、一緒に飲んで食べた。
楽しいお酒と食事である。
勘定を割り勘で済ませて、店を出た。
Sさんは日本語を聞く、話すは、ほぼ問題ない。
日本語の読み書きも勉強を始めていて、簡単な漢字は読めるようになっていた。
レジの女性となにか話していたのは、見ていたのだが、どうやら自分の分の領収書をもらっていたようだ。
店の外で待っている、僕のところに笑いながら、近づいてきて、言った。
「ほら、僕の名前が変わりましたね。 僕は うえ さんです」

ほとんどが欧米から来た人たちであったが、たまに中近東の出身の人もいた。
僕がある時期、一番仕事をしていた外国人、Sさんはイラン人である。
Sさんは、中学に入る頃からアメリカに移り、大学もアメリカで卒業した。
きっとイランでは裕福な家庭に育ったのだろう。
年齢は僕よりひとまわりは若かった。
体は一般的な日本人の中に入っても、目立たない大きさであったが、仕事におけるバイタリティは独特のものがあった。
日本人にまねのできないところがあった。
仕事以外でも、若いせいもあったろうが、元気だった。
普段は東京にいて、大阪に仕事で来るわけである。
あるとき、明日はお客さまのところへ製品説明のための訪問をすることになっていた。
製品とは、ソフトウェアである。
お客さまがそのソフトウェアを使って、どのようなことができるのかを説明するのである。
お客さまのやりたいことを事前にお聞きして、当日までに時間をかけて準備をして、できあがったものをお客さまに見てもらうのである。
現在であれば優秀なCGのソフトウェアがあるので、いくらでも簡単に素晴らしい絵を作る事はできる。
ところが、当時は、そのような高機能なCGのソフトウェアはなく、あっても非常に高価なので、簡便な方法でお客さまのやりたいことを実現できることを提示しなければならなかった。
いわば機械で絵を作るような仕事であり、ここまでできれば終わりという目標がないような仕事である。
見栄えのよい絵を作ることが目標ではあるが、それはここで終わりという線を決めにくい。
東京のオフィスで、ある程度準備をしていたデータを、Sさんは持ってきていた。
僕としては、そのできたものを確認して、ある程度追加と修正があるとしても、今日の仕事は、短時間で済むと思っていた。
18時にはオフィスを出て、食事だな、という心づもり、腹づもりである。
Sさんは、東京で作ってきたデータを僕に見せて、すこし手を入れますね、と作業に入った。
僕は、30分くらいで終わると思って、横で見ている。
Sさんは、そのソフトウェアの使い手としては一流である。
横で見ているだけでも勉強になるのだ。
ソフトウェアの使い方の最前線が分かる。
ところが、1時間たっても、終わらない。
もうこれくらいでいいでしょうと、僕が思っていても、Sさんは、いや、もっとよくなりますと、改良作業をやめない。
僕としては、今日は適当なところ、と言っても20時はまわっているので、これくらいでやめて、明日の景気づけで食事にでも行きましょう、と言いたいのだが、Sさんには妥協がない。
いや、まだです、と作業をやめない。
日本人であれば、絶対にここでやめるのに、と何度も思ったが、Sさんの手は止まらない。
これは、あきらかに中東の血、イラン人の血がなせるものだと思った。
やっとSさんがキーボードから手を離したのは、23時をまわっていた。
もうすこしで日付が変わる。
これ以上やると食事をするところがなくなりますよ、という僕が、空腹で、半ば切れかかっているのが分かったのかもしれない。
これでいいでしょう、とやめてくれた。
ところが、Sさんは決して、仕事だけの男ではない。
その日も深夜までやっている居酒屋にでかけ、一緒に飲んで食べた。
楽しいお酒と食事である。
勘定を割り勘で済ませて、店を出た。
Sさんは日本語を聞く、話すは、ほぼ問題ない。
日本語の読み書きも勉強を始めていて、簡単な漢字は読めるようになっていた。
レジの女性となにか話していたのは、見ていたのだが、どうやら自分の分の領収書をもらっていたようだ。
店の外で待っている、僕のところに笑いながら、近づいてきて、言った。
「ほら、僕の名前が変わりましたね。 僕は うえ さんです」
