”上を向いて歩こう”から
- 2020/05/03
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“上を向いて歩こう“は、坂本九さんの大ヒット曲である。
アメリカのヒットチャートでも最も人気があった日本の曲であるのは間違いない。
今、聞いても心を惹かれるメロディ、歌詞だ。
1985年8月12日の夕方、ニュースが入ってくる。
その頃、新入社員教育の最後のコースの準備で毎晩遅くまでオフィスで準備をしていた。
初めのニュースは、JAL123が行方不明ということだった。
僕のなかで、異常な感覚があった。
後で思えば、
それは、まるで生命が絶えるか、絶えないかの瀬戸際からの声を感じたのかもしれない。
まだ墜落したことがわかる前だった。
事故の詳細が分かり、犠牲者のなかに坂本九さんがいることを知る。
当時同じ大阪のオフィスの人は、東京出張の帰りには、羽田から伊丹へ飛行機を利用する人が多かった。犠牲者リストのなかに、その名前が載った方もおられる。
ある人は、羽田空港で食事をしていて、一便遅らせて、九死に一生を得たような人もいる。
僕の中の”上を向いて歩こう“には、いろいろな思い出が詰まっている。
アメリカのヒットチャートでも最も人気があった日本の曲であるのは間違いない。
今、聞いても心を惹かれるメロディ、歌詞だ。
1985年8月12日の夕方、ニュースが入ってくる。
その頃、新入社員教育の最後のコースの準備で毎晩遅くまでオフィスで準備をしていた。
初めのニュースは、JAL123が行方不明ということだった。
僕のなかで、異常な感覚があった。
後で思えば、
それは、まるで生命が絶えるか、絶えないかの瀬戸際からの声を感じたのかもしれない。
まだ墜落したことがわかる前だった。
事故の詳細が分かり、犠牲者のなかに坂本九さんがいることを知る。
当時同じ大阪のオフィスの人は、東京出張の帰りには、羽田から伊丹へ飛行機を利用する人が多かった。犠牲者リストのなかに、その名前が載った方もおられる。
ある人は、羽田空港で食事をしていて、一便遅らせて、九死に一生を得たような人もいる。
僕の中の”上を向いて歩こう“には、いろいろな思い出が詰まっている。