古関裕而さんのこと
- 2020/05/26
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NHKの朝の連続テレビ小説”エール“は、作曲家 古関裕而さんを描いている。
このドラマが始まる前は、“作曲家 古関裕而“という言葉だけが頭のどこかに微かに残っていた。
それがどうやら、”六甲おろし“の作曲家というところから僕の視覚から脳細胞のなかに残っていたらしいということは、ここでも書いている。
ドラマの進行に伴い、段々と古関裕而さんに引き付けられていく。
実際の生涯とテレビドラマは、完全に一致しているわけではないが、大きなストーリーは、変えられていない。
Wikipediaで調べていくと、プロ野球の球団歌は、阪神タイガースだけではない。
ライバル球団の読売ジャイアンツの球団歌である“闘魂こめて”も作曲されている。
さらに中日ドラゴンズの初代球団歌“青雲たかく”という曲も書いておられる。
こうなると、古関裕而さんは、阪神ファンだから作曲したということは、全く正しくないのである。
純粋に歌を書く、皆を元気にする歌を書くというところに出発点はあるのだろう。
ドラマでは、なかなかレコードにならない、売れない作曲家である古山裕一(役の中でこういう名前)が、早稲田大学の当時は第6応援歌である”紺碧の空“を作る。
この応援歌の威力もあり、早稲田大学は長年苦杯をなめていた慶応に勝つのである。
当時の早慶戦の人気のすさまじかったこと、それは現在の阪神巨人戦の比ではない。
映像を見ていても神宮球場が割れんばかりに観客が応援しているのが分かる。
”紺碧の空”を作られたのが、1931年である。昭和6年だ。
その5年後に”六甲おろし“が生まれるのだが、なんと1946年には、慶応義塾大学の応援歌である”我ぞ覇者“を作られているのだ。
ライバルチームの両方から作曲を依頼されるというのは、それだけ古関裕而さんの作曲家としての魅力が大きかったということだろう。
ちなみに”六甲おろし”は、古関裕而さんが作られたときは、“大阪タイガースの歌”という名前だった。
12球団のなかでは最古の楽曲だそうだ。

このドラマが始まる前は、“作曲家 古関裕而“という言葉だけが頭のどこかに微かに残っていた。
それがどうやら、”六甲おろし“の作曲家というところから僕の視覚から脳細胞のなかに残っていたらしいということは、ここでも書いている。
ドラマの進行に伴い、段々と古関裕而さんに引き付けられていく。
実際の生涯とテレビドラマは、完全に一致しているわけではないが、大きなストーリーは、変えられていない。
Wikipediaで調べていくと、プロ野球の球団歌は、阪神タイガースだけではない。
ライバル球団の読売ジャイアンツの球団歌である“闘魂こめて”も作曲されている。
さらに中日ドラゴンズの初代球団歌“青雲たかく”という曲も書いておられる。
こうなると、古関裕而さんは、阪神ファンだから作曲したということは、全く正しくないのである。
純粋に歌を書く、皆を元気にする歌を書くというところに出発点はあるのだろう。
ドラマでは、なかなかレコードにならない、売れない作曲家である古山裕一(役の中でこういう名前)が、早稲田大学の当時は第6応援歌である”紺碧の空“を作る。
この応援歌の威力もあり、早稲田大学は長年苦杯をなめていた慶応に勝つのである。
当時の早慶戦の人気のすさまじかったこと、それは現在の阪神巨人戦の比ではない。
映像を見ていても神宮球場が割れんばかりに観客が応援しているのが分かる。
”紺碧の空”を作られたのが、1931年である。昭和6年だ。
その5年後に”六甲おろし“が生まれるのだが、なんと1946年には、慶応義塾大学の応援歌である”我ぞ覇者“を作られているのだ。
ライバルチームの両方から作曲を依頼されるというのは、それだけ古関裕而さんの作曲家としての魅力が大きかったということだろう。
ちなみに”六甲おろし”は、古関裕而さんが作られたときは、“大阪タイガースの歌”という名前だった。
12球団のなかでは最古の楽曲だそうだ。
