究極のブラインドタッチ
- 2015/03/26
- 00:00
長い間キーボードを触っていると、段々ブラインドタッチができるようになる。
初めて僕がキーボードに触ったのは、学生の時だ。
当時は、まだパソコンというものはなく、大学の大型計算機でプログラムを実行するためのデータ作成のために、キーボードを触ることになった。
紙のカードにデータを打ち込むための、カードパンチャーというものを使ったのが、最初だったように記憶している。
穿孔機(せんこうき)というのが日本名である。
会社に入って、仕事を始めたときも、FORTRANでプログラムを作成したり、入力データを作ったりするときに、端末機というものを使うのだが、そのときにも、キーボードを触っていた。
他の社員よりは、計算機を使う仕事が多かった。
その分、キーボードを触る機会も多かったのである。
端末機は、他の社員がいる大部屋とは違う部屋にあり、それは狭い空間で、嫌な上司の顔を見ずに仕事ができる場所だった。そういうこともあり、僕のキーボードを触る時間は自然と増えていった。
と言っても、当時はブラインドタッチはできるわけもなく、目で自分の指を追いかけながら、キーボードを打っていた。
ある時、海外のお客様と折衝をすることになり、英文の資料を英文タイプライターで打つ仕事が増えてきた。
僕の上司は、僕がキーボードに慣れているので、打つのが早いと思っている。
その仕事は、若手の僕に集中的にまわってくる。
見よう見まねの我流のキーボード打ちなのに、他の人よりも早撃ちと上司に思われたことから、少しは勉強するために、キーボードの打ち方の本を買ってきた。
なるほど、本を読むと基本的なことが分かる。
その本のはじめの数ページが重要だった。後は、基本を守って、ひたすら繰り返すしかない。
それも、実践が一番である。
練習のための練習では緊迫感がない。
上達速度も遅い。
今では、ほぼブラインドタッチは、特殊文字を除いては、できるようになっている。
それも何十年もやっていれば、当たり前のことで、なにも自慢することでもない。
僕がIT系の会社に移って、ブラインドタッチのことで驚いた経験がある。
一つは、僕が大学の研究室へ納入したワークステーションでのことである。
当時は、UNIXというOSが、大学では使われていた。
まだまだ世の中ではUNIXがマニアックな時代である。
使う学生もオタク的なところがある。
納入した研究室は、僕が同じプロジェクトをやっていたT先生の研究室だ。
以前書いたゴジラプロジェクトの先生である。
先生は東京におられるので、久しぶりにお会いしたのであるが、先生と話をした後,学生がワークステーションを使っているのを見に行くことにした。
ワークステーションは、何度も見ている筐体で、遠くからもすぐに分かった。
ところが、学生が触っているキーボードを見ると、なぜか雰囲気が違う。
近づいてみると、キーボードに文字がないのだ。
学生にどうしたのかと尋ねると、自分たちで、キーボードから文字盤を全部はずして、文字の書いてあるところに、スプレーを拭きかけて、文字を消してしまったという。
さすがに部屋の中で、その作業をしていると、スプレーの成分のせいで、気分が悪くなったという。
なぜそんなことまでしてと、さらに聞くと、ブラインドタッチでキーボードを触るので、文字はなくてもよい、という。
さすが大学院の院生ともなると、違うものだと感心する。
その研究室の研究テーマは、ユーザーインターフェイスなので、文字盤を消したキーボードを操作すると、どうなるかというのも研究テーマになるのかもしれない。
ただ、そういう話を、T先生にすると、その程度のことは、研究テーマにはならないと言われた。
同じような経験がもうひとつある。
それは教室に導入するパソコンすべてのキーボードの文字盤を消して欲しいという要望だ。
しかも、教室というのは中学校で使うパソコンである。
台数も研究室で使うワークステーションと違い、かなりの台数となる。
その私立学校の役員に、パソコンの世界では、著名な方がおられ、どうやらその方の方針のようだ。
初めから、キーボードに文字がなければ、ブライドタッチを早く習得できるということだ。
もっともなことであるが、かえって学習意欲を失う学生が出てくるのではないかと、当時は心配した。
今ではキーボードよりもタッチパネルが主流の時代であり、わざわざブライドタッチを習得する意味は少ないのかもしれない。
ブラインドタッチでキーボードを超速で操作するよりも、軽やかにタッチパネルを操作するほうが受けるのだろう。

初めて僕がキーボードに触ったのは、学生の時だ。
当時は、まだパソコンというものはなく、大学の大型計算機でプログラムを実行するためのデータ作成のために、キーボードを触ることになった。
紙のカードにデータを打ち込むための、カードパンチャーというものを使ったのが、最初だったように記憶している。
穿孔機(せんこうき)というのが日本名である。
会社に入って、仕事を始めたときも、FORTRANでプログラムを作成したり、入力データを作ったりするときに、端末機というものを使うのだが、そのときにも、キーボードを触っていた。
他の社員よりは、計算機を使う仕事が多かった。
その分、キーボードを触る機会も多かったのである。
端末機は、他の社員がいる大部屋とは違う部屋にあり、それは狭い空間で、嫌な上司の顔を見ずに仕事ができる場所だった。そういうこともあり、僕のキーボードを触る時間は自然と増えていった。
と言っても、当時はブラインドタッチはできるわけもなく、目で自分の指を追いかけながら、キーボードを打っていた。
ある時、海外のお客様と折衝をすることになり、英文の資料を英文タイプライターで打つ仕事が増えてきた。
僕の上司は、僕がキーボードに慣れているので、打つのが早いと思っている。
その仕事は、若手の僕に集中的にまわってくる。
見よう見まねの我流のキーボード打ちなのに、他の人よりも早撃ちと上司に思われたことから、少しは勉強するために、キーボードの打ち方の本を買ってきた。
なるほど、本を読むと基本的なことが分かる。
その本のはじめの数ページが重要だった。後は、基本を守って、ひたすら繰り返すしかない。
それも、実践が一番である。
練習のための練習では緊迫感がない。
上達速度も遅い。
今では、ほぼブラインドタッチは、特殊文字を除いては、できるようになっている。
それも何十年もやっていれば、当たり前のことで、なにも自慢することでもない。
僕がIT系の会社に移って、ブラインドタッチのことで驚いた経験がある。
一つは、僕が大学の研究室へ納入したワークステーションでのことである。
当時は、UNIXというOSが、大学では使われていた。
まだまだ世の中ではUNIXがマニアックな時代である。
使う学生もオタク的なところがある。
納入した研究室は、僕が同じプロジェクトをやっていたT先生の研究室だ。
以前書いたゴジラプロジェクトの先生である。
先生は東京におられるので、久しぶりにお会いしたのであるが、先生と話をした後,学生がワークステーションを使っているのを見に行くことにした。
ワークステーションは、何度も見ている筐体で、遠くからもすぐに分かった。
ところが、学生が触っているキーボードを見ると、なぜか雰囲気が違う。
近づいてみると、キーボードに文字がないのだ。
学生にどうしたのかと尋ねると、自分たちで、キーボードから文字盤を全部はずして、文字の書いてあるところに、スプレーを拭きかけて、文字を消してしまったという。
さすがに部屋の中で、その作業をしていると、スプレーの成分のせいで、気分が悪くなったという。
なぜそんなことまでしてと、さらに聞くと、ブラインドタッチでキーボードを触るので、文字はなくてもよい、という。
さすが大学院の院生ともなると、違うものだと感心する。
その研究室の研究テーマは、ユーザーインターフェイスなので、文字盤を消したキーボードを操作すると、どうなるかというのも研究テーマになるのかもしれない。
ただ、そういう話を、T先生にすると、その程度のことは、研究テーマにはならないと言われた。
同じような経験がもうひとつある。
それは教室に導入するパソコンすべてのキーボードの文字盤を消して欲しいという要望だ。
しかも、教室というのは中学校で使うパソコンである。
台数も研究室で使うワークステーションと違い、かなりの台数となる。
その私立学校の役員に、パソコンの世界では、著名な方がおられ、どうやらその方の方針のようだ。
初めから、キーボードに文字がなければ、ブライドタッチを早く習得できるということだ。
もっともなことであるが、かえって学習意欲を失う学生が出てくるのではないかと、当時は心配した。
今ではキーボードよりもタッチパネルが主流の時代であり、わざわざブライドタッチを習得する意味は少ないのかもしれない。
ブラインドタッチでキーボードを超速で操作するよりも、軽やかにタッチパネルを操作するほうが受けるのだろう。
