海パン
- 2015/03/29
- 00:00
水泳というのは、お金のかからない競技である。
ユニフォームは水着だけである。
もちろん、遠征とか合宿となると、ある程度遠いところへ出かけるので、交通費や合宿費は必要となるが、それはクラブを運営している費用から払われていたので、部員一人一人の負担は、大きくはなかった。
大学からも補助金が出ていたのかもしれないが、多くは先輩方の会費によるところが多かった。
水着は、海パン(かいぱん)と呼んでいた。
海水パンツの略称だ。
当時は、1000円くらいで買うことができた。
1000円といっても当時の1000円であるので、それなりの費用であるが、バイト代が入れば、すぐにでも買える範囲である。
水泳部員にとっては、海パンがおしゃれの一つのようなものであり、結構何枚も持っていたものだ。
今の競泳用の水着は、腰の部分だけの小さな布地のものより、上半身から下半身の足首まで覆うようなものや、下半身だけでもタイツのように長いものまである。
むしろ昔の局部だけを隠すような小さな水着のほうが少ないだろう。
当時は、裸で泳ぐ方が速いと言われたものである。
そのためどんどん布地が小さくなっていったようだ。
あるとき、アメリカの星条旗を模した海パンを買ったことがある。
赤と青と白のストライプが縦に入っているのである。
冬の間は、室内プールでの練習が、夏は、屋外プールになる。
当然日差しが強く、僕は、なかなか肌が焼けにくかったのであるが、毎日泳いでいると腕から肩にかけて、じわっと焼けてくる。
毎日少しずつ、ちょうどとろ火で長時間料理するような感じで焼けてくる。
当時の学生は、風呂もないアパート住まいだ。
4畳半とかせいぜい6畳の一部屋というのが多い。
風呂は銭湯に行く。
あるとき、銭湯の大きな鏡に写った自分の尻を見て、びっくりした。
尻に縦に筋が入っている。
その部分だけが焼けているのだ。
ある間隔で、焼けている。
そうだ、星条旗の三色ストライプの白の部分だけが、焼けているのだ。
白は光を通しやすいので、そこだけがよく焼けたのである。
それからは、夏には星条旗の海パンは、はかないことにしたのは言うまでもない。

ユニフォームは水着だけである。
もちろん、遠征とか合宿となると、ある程度遠いところへ出かけるので、交通費や合宿費は必要となるが、それはクラブを運営している費用から払われていたので、部員一人一人の負担は、大きくはなかった。
大学からも補助金が出ていたのかもしれないが、多くは先輩方の会費によるところが多かった。
水着は、海パン(かいぱん)と呼んでいた。
海水パンツの略称だ。
当時は、1000円くらいで買うことができた。
1000円といっても当時の1000円であるので、それなりの費用であるが、バイト代が入れば、すぐにでも買える範囲である。
水泳部員にとっては、海パンがおしゃれの一つのようなものであり、結構何枚も持っていたものだ。
今の競泳用の水着は、腰の部分だけの小さな布地のものより、上半身から下半身の足首まで覆うようなものや、下半身だけでもタイツのように長いものまである。
むしろ昔の局部だけを隠すような小さな水着のほうが少ないだろう。
当時は、裸で泳ぐ方が速いと言われたものである。
そのためどんどん布地が小さくなっていったようだ。
あるとき、アメリカの星条旗を模した海パンを買ったことがある。
赤と青と白のストライプが縦に入っているのである。
冬の間は、室内プールでの練習が、夏は、屋外プールになる。
当然日差しが強く、僕は、なかなか肌が焼けにくかったのであるが、毎日泳いでいると腕から肩にかけて、じわっと焼けてくる。
毎日少しずつ、ちょうどとろ火で長時間料理するような感じで焼けてくる。
当時の学生は、風呂もないアパート住まいだ。
4畳半とかせいぜい6畳の一部屋というのが多い。
風呂は銭湯に行く。
あるとき、銭湯の大きな鏡に写った自分の尻を見て、びっくりした。
尻に縦に筋が入っている。
その部分だけが焼けているのだ。
ある間隔で、焼けている。
そうだ、星条旗の三色ストライプの白の部分だけが、焼けているのだ。
白は光を通しやすいので、そこだけがよく焼けたのである。
それからは、夏には星条旗の海パンは、はかないことにしたのは言うまでもない。
